位 置 北緯 26度26分28秒
東経 127度42分49秒
塗色・構造 白色コンクリート造
等級・灯質 群閃白光
毎10秒に白光2閃光
光 度 640,000カンデラ
光達距離 18海里 (約33km)
明 弧 全 度
高 さ
地上から灯塔の頂部まで 30.6m
平均水面から灯火まで 40.0m
沖縄本島のほぼ中央、東シナ海に大きく突き出した岬が残波岬で、高さ30mから40mにも及ぶ隆起サンゴ礁の絶壁が2kmに渡って続く景勝地となっています。かって、地方の道路は、那覇や首里を除き馬車等が行き交うほどの幅員はなく地方への往来はほとんど海路が利用されていました。レーダー等が無かった昔の航海は、星と地上物件を目当てとしており、この岬は大きな:目標とされていたと思われます。「おもろさうし」(沖縄最古の古謡集)によれば、「この岬をかわすおざ時には、手を擦って祈り船を走らせなさい」と記されており、宇座誌(地元郷土史)「残波の里」には、航海の安全を祈る神の屋として「東の神の屋、西の神の屋、潮吹ガマ」があると書かれています。古来より、本土から、そして山原から那覇へ向かう船には、神に祈る心境にさせるほどの航海の難所となっていたようです。また、この地は昭和20年4月1日、米軍はこの岬を目印に激しい砲撃を加え上陸を開始、あの悲惨な沖縄戦が始まった地でもあります。
残波岬灯台の歴史
残波岬灯台は、当地が未だ米軍の実弾演習場として使われ、立ち入り禁止区域になっていた昭和48年に地元の海運関係者からの強い要望たより建設を開始しました。連絡が米軍のゲートに届いていなかった為に門前払いをくったり、突然の演習で工事をストップさせられたりと、他では味わえない苦労を重ねながら翌年の年度末ギリギリ3月30日に何とか完成させることが出来たとのことです。現在同地区は、南西諸島随一の高さ(約31m)を誇るこの灯台を中心とした公園として生まれ変わっており、沖縄本島の観光の目玉ともなっています。
余話
琉球王朝時代、初めて明(中国)に進献し、明の進んだ文物を沖縄にもたらしたのは、1372年、当時の琉球王の名代として渡った読谷村宇座の泰期といわれています。その後、当地は明との交流の玄関ロとなっていたと思われ、残波岬の近くの長浜には「トウシングムイ(唐船池)」や「トウシンシー(唐船岩)」等、唐船を係留した場所といわれる地名が残っています。
残波岬の少し東よりに、沖縄三線の始祖と呼ばれる「赤犬子(あかいんこ)」の宮があります。赤犬子は今から500年ほど前「唐」から渡り、沖縄に三線と歌を広めたとされています。また、この地に五穀も持ち込んだとされており、琉球音楽の始祖そして五穀豊穣をもたらす神として崇められています。
航空機
那覇空港→バス20分・タクシー15分→バスセンター→28番バス90分→残波ロイヤルホテル前→徒歩10分→灯台
観光バス、レンタカー利用が便利
