灯塔は,レンガ造のく体に白漆喰を塗り目地を入れ石造のように見せている。
出入口・窓の周囲,階段や踊場の床は伊豆の石材を使用。設計者はR・H・ブラントンである。
寛永12年(1635年)幕府により,灯明台が現在の御前崎灯台の場所に建てられ「見尾火(みおび)灯明台」と呼ばれていた。構造は,高さが2.8mで3.6m四方の小さなもので, 海上から見える三面を油障子で囲み,中央に油灯をおいた。灯明番として村民が2人づつ交代で賦役に出て いたので人夫賃は要せず,油代と障子張紙代が幕府から支給されていた。この灯明台は240年余続いたのであるが海難は絶えず,ことに南風の激しい3月と9月には必ずといってよいほど難破船があり,灯明台崖下には身許も分から ず引取手のない遺体を埋葬した無縁墓が並んでいた。
昭和58年度耐震補強に合わせた保全が実施された。

