灯塔の石材は,御影石で山口県徳山市や広島県倉橋島から船で運び,海岸から工事現場までの山道約300mは地面に板を敷き,丸太とロクロを使用して運んだ。設計者はR・H・ブラントンである。
慶応3年(1867年)4月,幕府と英国公使は兵庫開港(同年12月)に備えて大阪約定(大阪条約)を結んだ。この時の5灯台のひとつ。工事に携わったブラントン,マクビン等は日本食をとらないので,肉類など食糧いっさいは神戸から三津浜(松山)経由で送られ,三津浜からは発動機船のない時代のことであり,二丁櫓の伝馬船で運搬していた。荒天のため食糧が欠乏しても,次の便が来るまで島の果物だけを食べていたというエピソードも残っている。
